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いい作品には、必ず「いい問い」がある。安斎勇樹さんと考える、問いのデザイン

いい作品とは何か?
それは、世の中に「問い」を投げかけるものだと、ぼくは思う。

安野モヨコの『働きマン』は、「働くこと」の意味を問い直した作品だ。

連載開始前、深夜まで一生懸命に働く人はカッコ悪くて、ワークライフバランスが整っている人のほうがカッコいいとされる空気が社会全体にあった。でも、果たして、必死にボロボロになるまで働く人は本当にカッコ悪いのか? そんな「問い」から企画がはじまった。作中では、様々な登場人物たちが「働くとは、どういう意味を持っているのか?」を問い続ける。

小山宙哉の『宇宙兄弟』であれば、「人の絆」だ。

どんな人も、学生時代の友だちとか、仕事のつきあいとか、いろんな人間関係を持つ。でも、長期にわたって濃密な人間関係を築いて、お互いを信頼し合うような絆を作り上げることは難しく、実現できている人はあまりいない。だからこそ、人は強固な絆に惹かれる。では、真の友情や濃密な絆とは何なのか? そんな「問い」が作品の裏テーマとして存在する。

創作にあたり、作家自身が「問い」を持つことは、何よりも重要だ。

でも、様々な作家と接していると、次々と「問い」を見つけることのできる人と、そうでない人がいる。この違いは何なのか? そもそも、「問い」とは、どういうプロセスで生まれるものなのか? 

コルクで新人作家たちと作品づくりをする上で、「問い」への理解を深めたいと日々思っているのだが、とても勉強になる本に出会った。それが、ミミクリデザイン代表の安斎勇樹さんと、京都大学総合博物館准教授の塩瀬隆之さんが共著で書いた『問いのデザイン: 創造的対話のファシリテーション』だ。

先日、著者の安斎さんとぼくのYoutubeで「創作には「問い」のデザインが必要!どう問いを生み出す?」というテーマで対談を行った。その内容をコルクラボのメンバーがレポート記事化してくれたので、共有します。

<記事の書き手 = 小西奈津子、編集 = 井手桂司

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安斎 勇樹(あんざい ゆうき)さん
組織イノベーションの知を耕すウェブメディア「CULTIBASE(カルティベース)」編集長。株式会社ミミクリデザインCEO。株式会社DONGURI CCO。東京大学大学院情報学環特任助教。1985年生まれ。東京大学工学部卒業、同大学院学際情報学府博士課程修了。博士(学際情報学)。組織の創造性の土壌を耕すワークショップデザイン・ファシリテーション論について研究している。著書に『協創の場のデザイン:ワークショップで企業と地域が変わる』『ワークショップデザイン論:創ることで学ぶ』(共著)

★この対談は、Youtubeの『編集者 佐渡島チャンネル』にて動画を公開しています。動画で観たい人はコチラから。

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自然と好奇心が沸き立つ「問い」との出会い方

佐渡島:
『問いのデザイン』の中で、いい「問い」とは、好奇心が刺激され、無自覚だった認識の前提が揺さぶられ、普段とは違った考えが生まれると書いてありますよね。

作品づくりとは、まさに「問い」を読者に投げかけて、読者の認識を揺さぶる行為だと思うので、安斎さんたちが説く「問い」の定義にしっくりきました。

一方、「問い」とは内容次第で、人の成長を止める作用を持っているとも感じます。

例えば、新人マンガ家は自分の成長を止める問いをしがちなんです。「なぜあいつはできるのに自分はできないのか」みたいな。この「問い」について考えても、好奇心は刺激されないし、成長に向かわないと思うんですね。何より、気が滅入ってしまいます。

自分を苦しめるのではなく、自然と自分の好奇心が沸き立つような「問い」に、どうやったら出会えるか。これを僕はずっと考えているんですよね。

安斎さん:
確かに、問いかけの内容次第では、自分で自分の可能性を殺してしまう可能性はありますよね。

ただ、注意をしなくてはいけないのは「いい問いを立てなきゃ」と無理くり問いを見つけようとすることです。好奇心が動かないものに問いを立てても、本末転倒になります。子どものように素朴な衝動のまま考えることが大切だと思いますね。

佐渡島:
確かに。「いい問いを立てたい」と思っている時点で、自分の中にある良し悪しで考えてしまってますよね。つまり、自分の既存の思考の枠から出られていない。「後から考えたら、アレはいい問いだったのかも」と思えるぐらいが理想的かもしれないですよね。

そもそも、安斎さんが「問い」に着目したきっかけとは何なんですか?

安斎:
やっぱり、様々なワークショプでの経験の積み重ねですね。

例えば、ある携帯電話メーカーのサービス開発のためのワークショップがありました。僕自身は携帯電話については素人なので、まずは率直に「いつも、どうやってサービスを作っているんですか?」と聞いてみたところ、恐ろしいほど通信技術の話ばかりだったんです。「携帯電話を、通信の手段としか思っていないんだな」と感じました。

そこで僕は「例えば、通信が繋がらない携帯電話があったとして、その携帯に価値を持たせるとしたら、どんなことが可能ですか?」と問いかけてみました。すると、これまでにない新しい議論が展開されたんです。

通信技術について熱く話している人たちに、あえて通信が繋がらない携帯電話について話をしてもらうって、少しひねくれてますよね(笑)。こういう目の前のことを、あえて批判的に考えてみることを「天邪鬼思考」と呼んでいます。

こういった天邪鬼思考や、素朴な疑問から生まれた「問い」が、ワークショップに参加する人たちの認識や好奇心を揺さぶる現場を多く経験してきたので、「問い」が重要という考えに行き着きました。

相手を否定しない問いかけ方には、コツがある?

佐渡島:
先ほどの携帯電話メーカーのワークショップの話ですけど、僕だったら少し挑発的な言い方で「あれ、皆さん、なんか通信の話ばっかりしてません?」と、その場で言ってしまいそうです(笑)。

「繋がらない携帯電話の話をしませんか?」という問いかけは解くのが楽しいゲームを提案されたように聞こえますが、「なんか通信の話ばっかりしてません?」だと自分たちの思考を否定されたように聞こえてしまいますよね。それだと、その後の建設的な話し合いに繋がらない。

相手の認識を揺さぶるためには、切り口だけでなく、「問い」をどのように投げかけるかも重要だと感じました。

安斎さん:
本当にその通りですね。相手の心を良い意味で揺さぶる「問い」と、アイデンティティを否定してしまう「問い」は紙一重だと思うので、気をつけなくてはいけないと思っています。

佐渡島:
安斎さんは、相手を否定する問いになっていないかを判断するときに、気を配っていることはありますか?

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