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言葉を刷新することで、“見える世界”を変える

「言葉が変われば、世界の見え方も変わる」

同じ景色でも、レンズを変えれば全く違う風景が見えるように、言葉一つで物事の見え方は変わる。だからこそ、いまの自分にとって最適だと思える言葉と出会ったら、それまで使っていた言葉と置き換える。すると、世界の解像度がぐっと上がるのだ。

言葉に敏感であり、言葉を精査していくこと。
それが、自分の思考を深めるための核となる行為だと考えている

先日、まさにその大切さを実感する出来事があった。

宇宙兄弟のムッタは、自分の道に迷うと、いつもシャロンに会いにいく。ぼくにとっても、編集者として迷いが生じたときに必ず相談する相手がいる。

それが、モーニング創刊編集長の栗原良幸さんだ。

以前投稿した『ぼくのマンガ編集者の師匠』というnoteに詳しく書いたが、栗原さんは、ぼくにとって「マンガ編集者の師匠」のような存在だ。

先日、久しぶりに栗原さんとお茶をさせてもらう機会があった。栗原さんと話をすると、いつも自然と「マンガとは、そもそも何か?」という根本的な問いへと導かれる。

栗原さんは、自身のことを「コマ原理主義者」だと言う。

マンガはコマの連続で構成される表現物であり、各コマは常に次のコマを目指して描かれる。一つのコマには、次のコマへと視線を導くテンションが宿り、読者の目が止まるコマには「時間を一瞬に凝縮した描写」が施される。

マンガの特長は、読者が自分のリズムで読み進められることだ。そして、人間は「時間を止めた表現」でなければ摂取できない情報がある。コマで囲むことで、その瞬間に生じた強烈な感情や、曖昧さを含んだニュアンスまで伝えることができるのだ。

栗原さんは講談社に入社して4年目のとき、手塚治虫の担当編集者となった。その当時、栗原さんは手塚治虫に「見開きの中で、特に重要視しているコマはありますか?」と尋ねたことがある。すると手塚治虫は、「そんなものはない」と即答したという。

手塚治虫のマンガには、特別なコマなど存在しない。すべてのコマは次のコマのためにあり、そうしてコマが連なりながら物語が紡がれていく。その結果、読者はコマを追いかけることに夢中になり、ページをめくる手が止まらなくなる。それこそが、手塚治虫が切り開いたストーリーマンガの本質なのだと、栗原さんはそのとき悟ったという。

独立して成り立つコマなど存在しない。それぞれのコマには、前後のコマや全体の流れとの「つながり」が内包されている。

この話を聞いたとき、ぼくは直感的に「これだ」と思った。先週、『編集者的な生き方。その本質は“空”にある』というnoteを投稿したが、栗原さんがコマを見つめる視点は、まさに「空」という概念そのものだった。

こうした背景から、栗原さんはモーニングで編集長を務めていた時代、「コマ割り」という言葉ではなく、「コマ運び」という言葉を使うよう、メンバーに事あるごとに伝えていたそうだ。

コマを「割る」という発想だと、それぞれのコマの中に「つながり」を内包していく意識は芽生えづらい。完成された設計図に基づいて、予定調和的にコマを割り振っていくようなイメージが「コマ割り」という言葉がある。

「コマ割り」と「コマ運び」。どちらの言葉を選ぶかで、作品づくりに向き合う姿勢そのものが大きく変わってくるだろう。

そして、ぼくが目指したい作品づくりのあり方は「コマ運び」だ。

これまでも栗原さんから、コマに関する話を何度も聞かせてもらい、コマ同士のつながりを意識する大切さは理解していたつもりだった。それでも、使っている言葉はずっと「コマ割り」のままだった。

これからは「コマ運び」という言葉で統一し、コルクで一緒にやっている新人マンガ家たちとも、言葉を揃えていきたい。

日常的に使っている言葉を変えることで、生み出されるアウトプットにどんな変化が現れるのか。それがもたらす可能性に、とてもワクワクしている。


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表では書きづらい個人的な話を含め、日々の日記、僕が取り組んでいるマンガや小説の編集の裏側、気になる人との対談のレポート記事などを公開していきます。

『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』などのマンガ・小説の編集者でありながら、ベンチャー起業の経営者でもあり、3人の息子の父親でもあるコルク代表・佐渡…

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