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「どうせ自分なんか…」との向き合い方

僕には3人の息子がいる。

外出自粛により子供たちと家で過ごす時間が増えているが、大変なのはケンカが絶えないこと。ケンカ中は、まるで工事中の部屋に住んでいるような気分だ。工事であれば、耳を塞いでなんとか耐えてやりすごすしかないが、子供のケンカはまきこまれる。なぜか、両方が僕を殴り出すなんてことになることもある。

一緒にいる時間が増えて、ケンカ以上に気になったことがある。それは、子供たちが「自分はダメな奴」と思っている点だ。

長男の口癖は「どうせ自分なんか」だ。

ケンカを仲裁しにいくと、「どうせ僕なんかよりも、他のふたりの方が好きだから守るんだろ」と言う。「そんなことはない、みんな同じくらい大好きだよ」と何度伝えても、それは変わらない。「僕はパパとママの子育ての実験台で、僕で実験したことを次男と三男でうまくやっているんだ」と拗ねたりする。

驚いたのが、4歳になる三男が自分をブサイクだと思い悩んでいることだ。僕から見るとイケメンの部類に入る顔つきなので、照れ隠しの冗談と思っていたが、どうやら結構本気で悩んでいる。「かっこいいよ」と言葉をかけても、「そんなことはない。もうその話題はいやだ」と一蹴される。

よく子供は無邪気で、恥の感情を持たずに積極的にチャレンジするが、大人になるにつれ恥の感情を覚え、失敗を恐れ挑戦に及び腰になると言われる。小学校の低学年のクラスでは、授業中に手をあげる生徒ばかりだが、中学・高校になるにつれて、誰も手をあげなくなる現象が、それを象徴していると。

果たしてそうだろうか? 

息子たちを観察していると、大人とは違うポイントで恥の感情を持っている。

「恥ずかしい」と感じて、現状を変えたいと、努力することもある。だが、多くの場合、恥は挑戦をブロックすることにつながる。「どうせ自分なんかが挑戦しても」「人から笑われそう」と、挑戦の足を引っ張るのではないか。

『ドラゴン桜2』でも「恥ずかしがって、何もやらないと、人生を損する」「大丈夫よ。あなたのことを見て笑った人も、3秒後には別のことを考えてるから」と、恥を捨て去る大切さを伝えているが、実現はなかなか難しい。

どうやったら、不必要に自分を恥じずに、軽やかに挑戦できるようになるか? 子育てで大切なことは、恥との向き合い方を、どう子供と話し合うかだと思うようになった。

先日、教育評論家の親野智可等さんと対談する機会があったので相談してみた。

すると、親野さんは、子供を「ひとりの人間」として接することが大切だと言う。親だからといって、上から目線で、ガミガミ言ったり、怒鳴ったりせずに、ひとりの人間としてリスペクトを持って接する。そうすることで、子供の自己肯定感が高まっていく。

子供を「かわいい」と思うだけでなく、尊敬する部分を見つけ、それを心から讃える。それが、本当の褒める行為なのだ。

ただ、多くの場合、他人への尊敬とは、相手の持っている知識、技術、実績だったり、それを手にするまでのプロセスや姿勢に尊敬の念を抱くと思う。特別な知識や技術を持っていない小さな子供を尊敬するには、どうしたらいいのか?

それは、Be(あり方)の部分で、尊敬する点を見つけることだと思う。

以前から、コルクラボのメンバーとは、職業的な「Doの肩書き」ではなく、「Beの肩書き」を大切にしようと話していた。「Beの肩書き」とは、大切にしたい自分のあり方だ。例えば、僕のDoの肩書きは「編集者」だが、Beの肩書きは「気付きを得、気付きを与える人」だ。Beの肩書を知ることで、自分の生き方に指針を立てることができる。

そして、お互いのBeを尊敬しあえることが、いい関係を築く第一歩だ。

子育てをしていると、子供にdoを教えたくなる。そちらの方が、親も教育しているという実感を得る。でも、doだけでなく、子供のbeについても話し合っていくことが重要だと気付かされたのが、僕のステイ・ホーム体験だ。

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今週も読んでくれて、ありがとう!

今回は「子育て」に関する記事だけど、僕の子育てに興味がある人は、コチラの連載『思考しすぎる僕と息子たち、ときどき妻』を見てもらえると良いかも。

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