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日常に埋め込まれた"暗号"を、どう掘り起こすか?

編集者とは、世間がまだ気づいていない「面白い」を発見する仕事だ。

だが、「面白い」は青い鳥のようなもので、「面白い企画はないかな?」と追い求めていると、なかなか見つからない。逆に、自分が「当たり前」と思っているものに着目すると、急に見つかったりする。

以前、『つまらないが実は宝だ!』というnoteにも書いたが、ぼくがそう考えるようになったキッカケは『ドラゴン桜』だ。

1年弱の勉強で現役合格を目指すなら、早慶よりも東大のほうが簡単というのは進学校では常識だ。暗記量がものを言う早慶に比べ、東大は基礎をしっかりと抑えれば応用で解ける。だから、「東大合格は実は簡単」なんてことをマンガで描いても、全く面白くないぼくはと思った。

だが、三田さんは「そんな常識は世間では誰も知らず、描く価値がある。君が世間も知っていると勝手に勘違いしているだけだ」いって、連載開始したのが『ドラゴン桜』だ。結果は知っての通りで、ぼくの「当たり前」は、世間にとって「面白い」だった。

編集者をしていると、こうしたシーンによく出くわす。当人にとっては、当たり前すぎると思っていることが、世間にとっては新鮮で格好のネタになることは実に多い。

「当たり前」を「当たり前」と思わない。

言うのは簡単だが、実践するのは難しい。ぼくのnoteで何度も紹介している『世界は贈与でできている』には、何かが「無い」ことに気づくことができても、何かが「ある」ことに気づくのは難しいと説かれている。当たり前に存在しているものは、そこに「ある」ということすら忘れてしまう。

ぼくらの日常には、そんな当たり前のような「ある」が無数に存在する。だが、それらに目を向け、紐解いていくと、世界の見え方が変わっていく。

例えば、日本には年間に合計16日の「国民の祝日」がある。でも、ここに見えない暗号があると言われたら、どうだろう?

先日、コルクラボメンバーが運営している『未来に残したい授業』というYoutubeチャンネルで、猪瀬直樹さんと対談をした。

猪瀬さんは『昭和23年冬の暗号』という本を昨年文庫で出版しているのだが、その内容を読むと祝日に対する見え方が変わる。

マッカーサーにとって、1947年に発行された「日本国憲法」は作品だった。そして、この作品を完成させるための仕掛けとなったのが、1948年(昭和23)12月23日だ。この日に、GHQは東條英機をはじめA級戦犯の処刑をおこなった。

令和になって祝日でなくなったが、12月23日は日本人にとって馴染みの深い国民の祝日だ。平成30年間、平成天皇の誕生日として祝日とされてきた。

いずれ昭和天皇が亡くなれば、皇太子明仁が天皇として即位し、12月23日は祝日になる。その日になるたびに、東條英機が絞首刑になった日ということも日本人は憶い出す。そうして、新しい天皇にも戦争責任が刻印され、引き継がれる。こうした思惑があったことを、猪瀬さんは著書で語っている。

平成天皇が、そんな重荷を背負って過ごされてきたのかと思うと、何とも言えない気持ちになる。

実は、「国民の祝日」は戦前と戦後で、廃止されたり、新設されたり、意味をすり替えられたものが多くある。これまで、祝日について深く考えたことはなかったが、他にも同じように暗号めいたものがあるかもしれない。

日常に埋め込まれた"暗号"を、どう掘り起こすか?

こうした暗号を掘り起こすことができるようになりたいと、猪瀬さんの話を聞いて、改めて感じた。


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