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第四章 勘違いのコミュニケーション

僕たちは生きている中で自分の言葉が相手に通じない経験をたくさんする。それはそこに「ズレ」があるからだ。しかし、ズレに気づきながらも、それを深堀りすることはほとんどない。僕はそのズレは、世の中をみる解像度が違うことで生じると思っていた。でもそうではなかった。

細谷さんの『具体と抽象』を読んで、通じなさを生むのは、解像度ではなく抽象度だと気づいた。
今回、細谷さんと対談を通して「ズレ」についての深堀りを沢山した。
その内容が『言葉のズレと共感幻想』という本になって年内に出版される。
僕のブログで1章ずつ先出し公開中。

どこにもたどり着かないやり取り

佐渡島 あるコンビのコントがSNSで絶賛されていたんですけど、僕はそれをおもしろいと思わなかったし、共感できなかったということがありました。面白いと思うものが他者と違う。一緒に笑えないというのは、考え込むきっかけになります。みんな、お笑いに何を求めているのかと。

細谷 笑わせるのは難しいじゃないですか。人を怒らせるとか悲しませるのは案外簡単だけど、笑いは人の内面的な、見えない部分に宿っているものですから。笑いのツボを見つけるというのは、見えない変数を探りにいっているようなもので、そこで共感を得ようとするのだから難しい。
 経験というか、どれだけ痛い目に合っているかという要素もあるとは思います。芸人というのはある種、言葉のプロだから、大勢の人たちにウケる言葉の選び方を当然するでしょう。問題はそれがどういうレイヤーで分かれているのかですね。ヒットする人としない人がいるっていうのは、何のレイヤーが違うのか、気になるところではありますね。

佐渡島 僕は、お笑いでも、他のものでも、表現されているものの中に、表現者の世界への眼差しが内包されている作品が好きです。笑いであってもその眼差しは欲しい。
 見終わると、その眼差しが、僕ら観た人に移転して欲しい。作品をを見た後では、彼らが笑いの対象にしたものが目に入ったり耳に入ったりしただけで、ふと思い出して、思わずニヤリとしてしまう。自分の日常に、作品が入り込んできてしまうのが、僕の中では最上なんですね。
 でも、僕がおもしろいと思わなかったコントは、コントを見た後に、それを作った人と世界の距離感への理解が深まらないし、眼差しも移転しない。二人の掛け合いがおもしろいとみんな言うけれど、掛け合いが繰り返されるだけで言葉のやり取りがどこにもたどり着かないで終わる。一つの型を四回繰り返すのか、五回なのかは、時間だけが制約条件で、伝えたいことが深まって行ったりしない。こそばされて笑わされるような、強制的な笑いに感じしてしまうんです。

細谷 見ているポイントが、単品なのかつながりなのか、というのは大きな要素でしょう。センテンスの中のつながりだったり、あるいはパラグラフの中のつながりだったり。

佐渡島 ああ、なるほど。僕は、単品では見られないものが好きなんですよね。1対1対応ではない表現で、部分と全体が呼応しているのが好きです。さらに、作品と僕の関係も、時間と共に変化するような奥行きのある作品が好きです。いつ見ても、同じ面白さではなく、こちらの年齢でったり、作品に対する知識によって、読み方が変化する。
 たとえば村上春樹の『風の歌を聴け』。これは、僕がたくさんの本を読むきっかけになった1冊です。読むたびに、新しい発見が僕にはあった。
 最初は、ある男の青春記録として読みました。二回目以降は、彼女に自殺されてしまった人間が立ち直るのに十年かかって、十年後に文章を書きながら初めて自分の心を癒そうと試す話として。そうすると、言葉がどういうふうに出てこないのか、どういうふうに上滑りな言葉を使いながら自分の心を慰めるのか、というのが全編を通して読み取れて、一文一文にすごく意味があることがわかるんです。
 そんなふうに、部分を別の事象と結び合わせて見ることができるとき、おもしろいとか価値があると、僕は感じるようです。
 僕は小学生の頃から甲子園を見るのが大好きなんですよ。それはもう、頭の中で勝手に色々と想像して、何もないシーンで泣けるくらいに。甲子園に出場するような選手は、ものすごい練習を重ねてきていると思うんです。甲子園出場に至るまでの球児たちが続けてきた厳しい練習の様子を想像して、プレーする彼らの姿にそれを重ね合わせて見るんです。そうすると、たった一つのアウトが、すごく悔しいものに変わる。プロ野球の1アウトと、甲子園の1アウトが重みが全く違う。裏側にあるストーリーが余白となっていて、そのような想像余地があるものが僕は好きなんだなと思います。

細谷 佐渡島さんのことだから、試合が終わったあと、この子たちは地元に帰ってこんなふうにするんだろうな、というところまで想像するんでしょうね。

佐渡島 しますねえ。想像できるじゃないですか。思い出話としてだす例が、世代間のあるものになってしまいますが、西武時代の清原が巨人を倒すときにアウトの数を勘違いして、「巨人を倒せた!」と思って試合終了前に泣き出してしまった名シーンとか、あの清原の気持ちはすごくよくわかるし、素敵なシーンだなと思ってずっと記憶しています。

細谷 佐渡島さんは漫才やコントを見ているときですら、その思考回路が起動してしまうということですね。

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