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悲しみ、避けちゃダメ。 受容しよう! 【恥からはじまる「感情」論考 #3】

怒り、喜び、悲しみ、誇り――。
私たちの行動や思考を、無意識のうちに支配する「感情」

誰もが振り回される「感情」とは、そもそも何なのか?
編集者・研究者・マンガ家。
三者三様の視点から、感情の本質を探る!

連載第2回目のテーマは「悲しみ」

・第一回「恥」の記事は、こちら
・第二回「罪」の記事は、こちら

さて、どんな会話が繰り広げられたのでしょうか!?

<書き手=秋山 美津子、カバーイラスト=羽賀翔一

<登場人物紹介>

佐渡島庸平(Yohei Sadoshima)
コルク代表。新たな才能の発掘やコンテンツ開発に取り組む一方、自らの感性も磨くべく、あらゆる物事をユニークな観点から考察。中でも「感情」は、クリエイターとして大切にしているテーマ。
石川善樹(Yoshiki Ishikawa)
「Wellbeingとは」を追求する、予防医学博士。イベントの対談で佐渡島と意気投合し、以来、友人として刺激を受け合う仲に。「感情を知れば人は幸せになれる」という自説に基づき、自身の感情さえも分析・検証している。
羽賀翔一 (Shoichi Haga)
コルク所属のマンガ家。ベストセラー『君たちはどう生きるか』(マガジンハウス)刊行から数年、新たな作品を描こうと奮闘するもやや迷走中……。現状を打破すべく、担当編集・佐渡島の呼びかけにより本企画に参加。

・・・

シミュレーションで、「悲しみ」は回避できる?

佐渡島:
自分の子どもたちを見ていて気付いたのだけれど、同じ事象に対する反応でも、「悲しむ」人と「怒る」人がいるよね。子どもってわりと、まず怒っちゃう(笑)。

たとえば僕が仕事に出かけようとすると、息子が「なんで出かけるの!」って怒るんだよ。だから、「こういうときは怒るより“寂しい”とか“悲しい”と伝えたほうが好かれるよ」と言うんだけどさ。

石川:
「お父さんは家にいる」と思っていたのに、いなくなっちゃうから、感情が揺れるのだろうね。羽賀君は、悲しいと感じたエピソードとかある?

羽賀:
以前、テレビの番組で密着取材を受けたことがあるんです。1ヵ月くらいのあいだ、ずーっとカメラで撮られているんですけど、密着にありがちな「ちょっとここは撮るのやめてもらえますか?」みたいなことは、言わないと決めていました。視聴者に、「こいつ調子に乗ってる」とか思われたくなかったので(笑)。

でも1回だけ、ネームをやっているときにカメラがあまりにも近かったので、「少し離れてもらってもいいですか?」と言っちゃったんです。それが放送の中で2回も使われていたという……。僕がちょっとテンパってる感じになっていて、あれは悲しかったですね。

石川:
それは怒ってもいいところだよ(笑)。

羽賀:
僕の中で「そういうことをしない人物として描いてもらえるだろう」と、勝手に期待していたのだと思います。だから、違って見える一部を編集されてしまったということに対する悲しみと、そうならないような信頼関係を、僕が築けなかったという悲しみがありました。

佐渡島:
羽賀君と同じことをされたとき、きっと怒る人もいるよね。僕は、人から「感情が出ない」と言われるけれど、色々な感情を瞬間的には感じてはいるんだよ。でも、すぐに手放している。悲しみや怒りなんかは特にそうだな。

羽賀:
佐渡島さんは、どんなときに泣きますか?

佐渡島:
小説を読んでいると泣くよ。平野啓一郎の『ある男』や『マチネの終わりに』は感動したな。物語を読んでいるときは作者に自分の感情を預けるから、わりと作者が作ってくれた波のとおりに感動する。

ただ自発的なところで言うと、先に感情をコントロールするというか、捕らわれないようにしているね。悲しみも、すぐに認めてしまえば半日くらいで捕らわれなくなる。

あとは、実際に起こる前にイメージすることで、感情のシミュレーションをしておく。僕は、「もし子どもが死んでしまったら」なんて考えながら、普通に街を歩いているわけ。子どもが死んでしまっても、自分が生きていかなきゃならない状況を想像する。

石川:
そうやって想像していても、もし本当に起きてしまったときには、どんな感情が湧くんだろうね。

佐渡島:
子どものことなら、やっぱり悲しむだろうね。それは、想像を超える悲しみだと思うから。なんとかして防げたと考えるだろうし。

羽賀:
悲しみに対抗するには「ポジティブな思考」と思いがちですけど、あえて「想定しておく」というのも、方法の一つかもしれないですね。

一見ネガティブに感じるけれど、逆にポジティブ思考のほうがリスクから目を背けている可能性もある。

石川:
僕も、たとえば自分の財布が盗まれたり、どこかに置き忘れたりという想定はしているな。

で、実際に学会でパリに行ったときに盗まれたんだけど、「想定どおり」と思っていたから悲しくなかった。実は盗まれる前提で、財布にはあまり入れてなかったし、むしろ「自分はこの日のために準備していたのだ!」と嬉しくなったよね(笑)。

一方で、一緒に行った後輩はタクシーに携帯電話を置き忘れて大パニックなの。すっごい落ち込んじゃって、せっかくパリの素敵なレストランに行ったのに、食事が全然手につかない。「今、お前がどれだけ悲しんでも、携帯が戻ってくるわけではない」と言ったんだけど。

佐渡島:
僕もそう思う。目の前の料理を楽しんだほうがいいよ!

石川:
結局、携帯電話は無事に戻ってきたんだけどね。後輩に「これを機に、携帯は落とすものとして生きていくのはどうかね?」と言ったけど、伝わらなかった(笑)。


「悲しみ」の消費期限と、無自覚の感情


羽賀:
「悲しみ」という感情を共有することで、コミュニティの一体感というか、人との絆が深まることってありますよね。

佐渡島:
そうだね。悲しみは共有できるし、コミュニケーションにおけるツールの一つでもある。マンガでも、キャラクターが怒ったあとに仲良くなるより、悲しみを共有することで仲良くなるほうが、読者はリアリティを感じられると思う。

東日本大震災のあとも、悲しみによって多くの人が一致団結したよね。デモやストライキといった怒りによる団結よりも、悲しみの団結のほうが長く続くのかな。

石川:
怒りは、あまり長く続かなさそう。悲しみは10年でも続くよね。

佐渡島:
子どもの頃に経験した悲しみを、60年間、抱えるなんてことも有りうるからなあ。

死ぬ直前に「あの悲しみの出来事が、私の人生を色付けた」と言われても理解できる。「あのときの怒りが、私の人生のすべてだった」だったら、「小さい」と思っちゃうけれど(笑)。

怒りは原動力にもなるけれど、成功や目標に近付くにつれて薄れていくのかもしれない。

羽賀:
悲しみだと、尊厳を感じます。

佐渡島:
誰かが亡くなって、その悲しみを静かに抱き続ける場合もあるね。たとえば、僕としては『君たちはどう生きるか』の話を持ってきてくれた、講談社の原田隆さん。原田さんが現役なのに、出張中の脳卒中で亡くなってしまったことは、悲しくてよく思い出す。原田さんは、ヒットすることを知らずに亡くなった。羽賀君と僕を応援しようと思って、マガジンハウスの同僚がこんな面白いことを考えているんだよ!って紹介しに来てくれた。ことあるごとに「この仕事、原田さんと一緒にやれたらな」とか考えてしまうんだよ。

羽賀:
そうですね……。原田さんには完成した本をお見せできなかったのが本当に心残りです。その後、島根県出雲市で僕の原画展の開催が決まったとき、偶然にも原田さんの故郷だと知って、「少しは恩を返せたのだろうか?」と思えるようになりました。

佐渡島:
僕はわりとせっかちだけれど、ゆっくり生きている人のほうが感情もゆっくりなんじゃないかな。そういう人って、かっこいいと思う。悲しみや怒り、幸せをゆっくり感じている人は、人間の深さがある気がしない?

石川:
たしかに、深い気がする。

佐渡島:
さっきの「携帯電話をなくした!/落ち込んだ!/見つかった!」っていうのも、ドタバタしているんだよね(笑)。

ただ僕自身は、何かに捕らわれることが物事の見る目を誤らせると思っているから、感情に浸りたいとかはあまり思わない。悲しみに浸り続けると、肉体も悲しみに捕われてしまいそうな気がするのだけれど、どっちがいいんだろうなあ。

……羽賀君は、悲しみに浸るの好きだよね?

羽賀:
そうかな?(笑) マンガを描いたり佐渡島さんと話したりすることで、自分の感情に気付くという経験はあるので、自覚がないだけなのかも。

僕はずっと母子家庭で育ってきて、それでも父親がいないことを「寂しい」と思ったことはないつもりでいました。でも、『シラナイ一家』というマンガで主人公が父親と再会するエピソードを描いたとき、「もしかしたら自分も、本当は寂しいって感じていたのかな?」と思ったんです。
 あとから自分の感情に気付くということも、大いにありますよね。

佐渡島:
自分の感情に気付いていない人は多いよ。

石川:
ちょっと話が変わるけれど、とある研究で「異性からどんな感情を見せられたら嬉しいか」という調査があって、男性は女性が喜んでいると嬉しい。でも女性は、男性が悲しんだり、落ち込んだりしていることを打ち明けられるのが嬉しいんだって。これは国を問わないのだそう。

何が幸せか、男女でずれ過ぎているなと思った。

羽賀:
女性は「悲しみ」に対して、それほどネガティブには捉えていないのかもしれませんね。

石川:
このあいだも、駅のホームで泣きながら電話をしている女性がいたよ。それにしてもなぜ女性は、駅のホームでよく泣いているのだろうか?(笑)

佐渡島:
男女は関係ないけれど、僕が「他者に怒りをぶつける人と、悲しみをぶつける人が似ている」と思うのは、それが「他人をコントロールしようとしている」と感じるから。

感情をぶつけてコントロールするくらいなら、言葉で話して要望を出そうよと。動物だったら悲しみや怒りを出してもいいんだけれど、せっかく人間なんだから、言葉にしようよって思うの(笑)。

不機嫌をアピールすることで周囲をコントロールするのも同じで、おそらく悲しみや怒りで状況を変えられた成功体験があるのだと思うよ。

赤ちゃんがそうだし、「幼さ」や「未熟さ」とセットな気がするな。


ネガティブ感情を「受容」する、人間らしい生き方

石川:
物語の構造にも、実は感情が大きく関与してくるよね。面白いのが、西洋の物語ではまず「対立」して、その後「葛藤」が生まれて……という流れで展開していくことが多い。基本的に右肩上がり。

でも日本の昔話なんかだと、まず何かを「失う」。そして「悲しむ」、「受容する」という構造になっている。U字を描いていて、元の地点に戻っているだけ。

この、「失ったものをどう受容するか」が大事なんだなと。

ちなみに、テレビアニメ『まんが日本昔ばなし』で僕のベスト作品は、『火男』という話。『タッチ』で有名な杉井ギサブロー監督が手掛けていて、「これぞ日本の昔話」という、シンボル中のシンボルだと思う!

佐渡島:
なるほど「受容」かあ。感情に長く捕らわれずにパッと手放すというのも、どうやって「受容」を早く行うかということになるね。

石川:
逆に「変容」の文化もあると思うよ。とある日本人男性が、長く付き合った彼女と別れた。その話をたまたま船旅で一緒になったフィジーの女の子たちに話したら、めちゃくちゃ笑われたんだって。

後日、その理由を聞いたら、「可笑しかったわけではない。悲しいことがあったら、笑ったほうがいいでしょ?」と言われたのだと。

「悲しいけれど笑う」のは、思考回路や解釈を変える「変容」だよね。ポジティブシンキングも同じじゃないかな。

フィジーは世界の幸福度ランキングが高い国だから、もしかするとこうした文化も関係しているのかもしれない。

羽賀:
とすると、悲しい出来事を自分から笑い話に変えて話してしまうのも、「変容」ですかね?

石川:
そうだと思うよ。そもそも「受容する」というのは、仏教の基本的な考え方。

これまでは認知行動療法の分野でも「変容」のほうが注目されていたけれど、最近は「変容するよりも、そのまま受容したほうが結果的にラクなのではないか」という考えもある。「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」のような、新世代の心理療法も出てきている。

佐渡島:
「受容」を「諦める」と捉える人もいるけれど、仏教では「明らめる(明らかにする)」ことだから、悪い意味じゃないしね。

石川:
そう。「あるがままとして、変えようとしない」だから。

さっきの『火男』も、「悲しい」という感情をどう扱うかがテーマになっていて、とにかく演出が素晴らしい。おじいさんが悲しむシーンでは、涙を流すまでにすごく時間をかけているの。まず、おじいさんの顔がアップになって、4、5秒くらいしてから、ほろりと涙を流す。贅沢な間の取り方しているよ。

佐渡島:
ブッダって、悟りを開いた後にすべての感情を感じていたのかな。僕はむしろ、怒りとか悲しみも、それまで以上に感じるのだけど、うまく手放すようになったって、どんな人かうまく想像できない

石川:
「無の境地」って、あれは何も無いのではなくて、無尽蔵の「無」なんだって。だから仏教的な観念から言うと、「人はネガティブ感情を生じるものであるから、それを避けることなく受容せよ。ポジティブ感情は、執着することなく手放せ」だね。

……そう思うと、僕は悲しみがイヤだから、避けるように生きてきたなあ(笑)。

佐渡島:
すべての感情に、良い面もあれば悪い面もあるってことか。「万物は流転する」ことを価値観として本当に受け入れられると、感情もまた、その一つひとつは短くなっていくのだと思うな。

<第四回に続く>

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