特別なレンズ越しに、独自の世界観をもつ人たち
人は誰しも、自分の「メガネ」を通して世界を見ている。そのメガネのレンズは、主観や偏見と呼ばれる。
多くの人は「自分はメガネなんてかけていない」「ありのままの世界を見ている」と思いがちだ。しかし、『観察力の鍛え方』でも書いたように、人はメガネを完全に外すことはできない。
自分を理解するとは、つまり自分のメガネについて知ることでもある。メガネのレンズがどのような特徴を持っているかを知れば、今まで見えなかったものが突然見えてくることがある。メガネへの理解を深めることは、観察力を鍛えることに等しい。
一方で、それぞれの分野で熟達している人々は、「特別なレンズ」を持つメガネをかけている。
たとえば、以前『贈与の存在に気づき、次の代に引き継いでいく』というnoteで紹介した、糸島で農業を営んでいる松崎さん。
松崎さんは街中で植物を見かけると、「こういう養分が欲しがっているな」とか、「土をもっとこうしてあげるといい」といったことが頭に浮かんでしまうそうだ。他にも、空を見ると、「あの雲がここに来るのは30分後だな」とか、「あの雲は、これくらいの雨を持っているな」と思うらしい。
ぼく自身、植物や雲を見てそんな風に思ったことは一度もない。同じ風景を見ているはずなのに、全く異なるレンズで世界を捉えているように感じる。
熟練者の人たちと接していると、こうした感覚をよく抱く。そして彼らの特別なメガネを少し借りたような瞬間、いつもの景色が違って見えてくる。この世界が変わるような感覚が、ぼくは好きなのだ。
先日、『美食地質学』の著者、巽好幸さんと対談する機会があり、その際にまた「特別なメガネ」を感じた瞬間があった。
巽さんは、超巨大噴火のメカニズムをマグマ学の観点から探究している地質学者だが、和食と日本列島の成り立ちに密接な結びつきがあるとし、地質学的な視点から日本の食文化を論じたのが『美食地質学』という本だ。
日本列島は、十数枚の地球表面を覆うプレートのうち、4つが接する変動帯に位置し、地震と火山が多発する地域にある。災害大国と言われる日本だが、この特異な地質構造が日本独自の食文化を生み出す基盤となっていると、巽さんは述べる。
例えば、日本食に欠かせない出汁。
日本の水は軟水で、ヨーロッパでは硬水だと言われるが、これも日本列島が変動帯にあることが大きく関係している。日本は、海溝からプレートが沈み込むことによってマグマが発生し、火山が密集する山国となっている。そのために、川や地下水の流れが急になり、地盤中のカルシウムやマグネシウムを溶かし込む時間がないために軟水の国となった。
カルシウムを多く含む硬水では、昆布や鰹節の旨味成分をうまく抽出できない。軟水の多い日本だからこそ、出汁の真価を発揮できるのだ。
また、同じ日本でも、関東の水は関西に比べるとやや硬度の高い中硬水らしい。そのため、関西の水と比べると、関東の水では昆布の旨味が出づらい。だからこそ、関西では昆布文化、関東では鰹節文化が発達したのではないかと、巽さんは推測する。
ぼく自身、各地のレストランを訪れて、その土地ならではの料理を楽しむことが好きなのだが、地質学的な視点から食文化を考えたことはなかった。
そして、巽さんとの対談で特に印象的だったのが、「地産地消が良し」とされる風潮に対して、巽さんが懐疑的な視点を持っていたことだ。
巽さんは、その土地の風土に適した食材や料理が、最もふさわしいものだと述べる一方で、地元の名産として紹介されるものの多くは、実は最近数十年の間に生まれたものだと指摘する。それらは多くの場合、何らかのブームに乗っているだけだ。
本当においしいものは、その土地の風土や歴史から理由を読み解くことができる。例えば、そばの名産地には、それ相応の歴史的背景がある。同じことは他の食材や料理にも当てはまる。
表面的な流行に流されず、地質という普遍的な観点から、その土地の食文化の本質を見極めようとしている姿勢に、ぼくは強く惹かれた。やはり、巽さんのように独自のメガネで世界を見ている人が、ぼくは好きなのだ。
作家もまた、それぞれが「特別なメガネ」を持っている。物語というものは、その作家が持つ特別なメガネを具現化するための装置だ。読者は物語を通して、作家がどのように世界を見ているかを垣間見ることができる。
コルクが掲げる「物語の力で、一人一人の世界を変える」というミッションは、つまり「作家のもつ特別なメガネを、多くの人がかけられるようにすること」にほかならない。
作家のもつ特別なメガネのレンズを丁寧に磨き、多くの人のメガネにあうようにピントを合わせていくこと。それが、編集者として、ぼくがやりたいことであることを改めて再認識した。
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コルク佐渡島の『好きのおすそわけ』
『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』などのマンガ・小説の編集者でありながら、ベンチャー起業の経営者でもあり、3人の息子の父親でもあるコルク代表・佐渡…
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