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素潜りから始まった内面との向き合い

この文章は、ヤマハ発動機とnoteで開催するコラボ特集の寄稿作品として、主催者の依頼により書いたものです。

ぼくがそのチラシを見たのは、ションベンをしてる時だった。
大学に入って、2ヶ月ほどが経ち、サークルの勧誘も、もうなくなっていた。トイレの壁には、誰も剥がす人がいなくて、汚くたくさんのチラシが貼られたままだった。どのサークルも新歓の時期は終わり、今さら入ることはできない。

高校時代は、すごく本気でテニスをしたことがプライドになっていた。ぼくのいた学校ではほとんどの生徒が、2年生の秋には部活を引退する。秋に引退しなかったのは、ぼくと野球部の一人で、学年に二人しかいなかった。
ぼくは3年の夏の大会が終わるまで部活を続けた。最後の大会は、本選まで行くつもりだったが、予選で敗退した。それでぼくの部活は終わり、受験勉強を始めた。
悔しい気持ちが残っていたから、大学でもがっつりテニスをしたかった。かといって、テニスしかしてない、という状態も嫌で、体育会のテニス部には迷った末、入らなかった。

代わりに、テニスが強くて有名なインカレのサークルに入った。テニスが強いだけでなくて、人気があって選抜された女性もいた。男子校出身のぼくにとってそれは嬉しいことのはずなのに、女性と仲良く話すのが得意じゃない当時のぼくは、自意識が邪魔して、そのサークルからは足が遠のいていた。

「イルカと泳ぎませんか」

チラシには、そんなコピーと共に、海洋調査探検部という重々しい名前が書いてあった。まだメンバーを募集してるみたいで、毎週水曜日に行われているというトレーニングに体験で行ってみることにした。

本郷の学食の地下に薄暗いプールがあった。そこは、なんと深さが3メートルある。探検部は、毎週水曜日にそこで練習を行っていた。
合宿は全て、テントでの野宿。そして、合宿中の食事は全て自炊。沖縄の離島で2週間近く合宿しても10万円はかからないという。
練習を休んだり、合宿に欠席したら、退部しないといけない。そんなめんどうくさいルールがあったけど、イルカと泳ぎたくて、ぼくは探検部に入ることになった。

ダイビングサークルだろ、と思うかもしれない。しかし、ダイビングサークルとは、ずいぶんと趣きが違うサークルだった。
ぼくが入る30年前は、純粋に探検部だった。アマゾンなどに行っていたらしい。山も含めて、地上に、人類未踏の地はなくなった。まだ探検しがいのある場所は、海しかない! と意気込んで始まったのが、海洋調査探検部らしい。ダイビングが一般的になる前にサークルは誕生した。

だから、ダイビングショップがないような島に行く。素潜りで地形や潮の流れを把握して、その後、自分たちでコンプレッサーからタンクに空気を入れて、ダイビングをしていた。
活動の半分以上が、素潜りだった。

人類はもう宇宙に行き、月まで行ってる。
しかし、まだ到達できてない海底はたくさんある。海は、身近だけど、まだまだ未開なのだ。
ビーチや船の上から眺めているのと全く違う景色が、海の中には広がっている。
たった10メートル、20メートルほど潜って、そこで周りを見渡すことにぼくは、魅了された。スキューバダイビングで海の中にいるのと、素潜りだとまた感覚が違う。スキューバだと、ずっと自分の呼吸音がする。素潜りだと、海の静謐さに包まれる。
潜るにつれて、たった10メートルでも確実に水温が下がる。身の回りの水が入れ替わるのも、精神が研ぎ澄まされる感じがある。

実際に探検部に入ると、イルカと泳ぐ機会はなかなかなかった。
毎週トレーニングがあり、休んではいけないのは、重荷になると思っていたが、自分たちの潜り方で安全を確保し、信頼関係を築き合うには必須であり、喜んで参加するようになった。
たった20人くらいの小さなコミュニティも居心地がよかった。

何よりも、素潜りをするという行為自体をぼくは楽しむようになっていた。
素潜りは、魚を見たり、銛で魚を獲ったり、景色を見るための手段ではなかった。素潜り自体が、目的だった。
顔が水につくと、どれだけ慣れていても、本能的に緊張する。潜りだして周りが暗くなると、恐怖心を感じる。
酸素を最も消費するのは、脳だ。そして、恐怖心を感じるとより酸素を消費する。

素潜りとは、ぼくにとって、自分の恐怖心と向き合うことだった。何に恐怖を覚えるのか、ということから、自分の輪郭が明らかになるように感じたし、恐怖をコントロールしようとしていくことは、自分が強くなり、器が大きくなっていくようにも感じれた。

どこにいても、ぼくは素潜りのトレーニングをするようになった。授業を受けている時も、時計をみて息をとめる。ちょっとした隙間時間があると息を止めた。
最終的に、地上だと5分半ほど息が止めれるようになった。
一人で海に潜っても20メートルはいけるようになった。

大学3年になった時に、やっとぼくの希望は叶った。
東京都に御蔵島という島がある。そこで野生のイルカと泳げるのだ。
まずは三宅島までフェリーに行く。そして、三宅島から御蔵島まで別の船で行く。御蔵島の港は小さくて、少しでも海が荒れると接岸できなくなってしまう。
時間がたっぷりあり、さらに天気が良いという運が重なって、やっとイルカと泳げる。

イルカと泳ぐという行為は、3年待ったとしても期待以上だった。
44歳となった今でも、ぼくの人生の中で、最良の時間だったと言える。
素潜りの技術もしっかりあることで、海の中でイルカと一緒にたくさん泳ぐことができた。
イルカは美しかった。
なんでかわからないけど、絶世の美女と接したような記憶にぼくの中でなっている。

クジラやイルカとまた泳いでみたい。

そんな気持ちがこの文章を書きながら、どんどんと高まっている。
新規事業のアイディアが思いついたら、すぐに動いてみる。なのに、イルカと泳ぎたいという欲望には、なぜかすぐに動けていない。

イルカの泳ぎ方は、欲望のままで、自由に見えた。
それが美しかった。

ぼくはしっかりと、ぼくの欲望に突き動かされているだろうか?
今のぼくにとってのイルカはなんなのだろう。



■ぼくの、ある冬の日の素潜り↓

海洋調査探検部について知りたい方へ↓↓

※見出しの写真での水中銃は、許諾を得て使用しています。
※この記事は、特集「#わたしと海」(https://note.com/topic/feature)への寄稿として執筆しました。

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